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寒さより先に、もち米の匂いが来る。船玉神社餅つき大会2025

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年末が近づくと、寒さより先に思い出す匂いがある。もち米が蒸される、あの少し甘い湯気の匂いだ。
船玉神社の餅つき大会は、正直なところ「毎年欠かさず参加する行事」というほどではない。でも、この匂いを感じると、「ああ、今年もここまで来たな」と思わされる。

派手な観光イベントでもなく、特別な思い出が積み重なっているわけでもない。それでも、人が集まり、餅をつき、食べて、笑って、少しだけ年末の実感を共有する。
船玉神社の餅つき大会2025は、そんな“地元の時間の区切り方”を、静かに教えてくれる行事だった。


正月前の空気が変わる瞬間

年の瀬が近づくと、街の空気がふっと変わるような瞬間がある。横断歩道の向こうから聞こえてくる掃除の音や、年賀はがきを買いに行く足取りの少し急いだ感じ、そんなことを積み重ねて辿り着くのが、船玉神社の餅つき大会の朝だ。
12月の最終週、まだ年末年始の慌ただしさに追われる前の、少しそわそわした時間帯。町の人も、近隣から来た人も、どこか「そろそろ節目が来るな」という空気を胸に抱えてやってきているように見える。

会場に近づくと、寒さより先に もち米の蒸される匂い が鼻をくすぐる。これが、この時期特有の合図だ。冬の空気は冷たいのに、その中で湯気が立ち上ると、なぜか心までほっと温かくなる。「今年もこの匂いか」と思いながら歩くと、いつの間にか年末がやってきたんだと実感する。

船玉神社の境内には、餅つきの臼や杵が並べられ、その横には屋台がぽつりぽつりと準備を進めている。焼きそばやたこ焼き、煮いか、大判焼、ポテト、クレープ……どれも冬空の下で食べると格別なものばかりだ。
そんな準備を眺めながら歩いていると、どこかで笑い声が聞こえてくる。遠目に見えるのは、ゲストとして来ているお笑いの 響さん や、 甘味処さん たちの姿だ。正月前の少し張り詰めた空気を、一瞬だけふわりとほどいてくれるような存在に、周りの人たちも思わず顔をほころばせている。

そんな準備の空気の中で、町全体が「もうすぐ正月だよ」という合図を確かめ合っている──そんな感じがするのが、この餅つき大会の始まりなんだ。


神社に人が集まる理由は、餅だけじゃなかった

正直に言うと、最初は「餅つき大会だから人が集まるんだろう」と思っていた。つきたての餅が食べられる、それだけで十分理由になるし、それが年末ならなおさらだ。でも、境内をぐるっと見渡しているうちに、どうもそれだけじゃない気がしてきた。

会場に入ると、まず来訪者には抽選券が配られる。これがまた、ちょっとした楽しみになっているらしい。豪華賞品が用意されていて、屋台の商品が当たることも多く、しかも「はずれがない」と聞くと、つい財布の紐も気持ちもゆるむ。抽選の列に並ぶ人たちの表情は、寒さで肩をすくめながらも、どこか楽しげだ。

餅つきの時間になると、臼の周りに自然と人だかりができる。誰かが杵を振り下ろすたびに、軽い掛け声と拍手が起きる。その横では、つきあがった餅をその場で食べられる試食会の準備が進んでいて、これを目当てに来ている人も多い。湯気の立つ餅を頬張る瞬間、知らない人同士でも「やっぱりつきたては違うね」なんて言葉が自然に交わされる。

屋台もまた、人を引き留める大きな理由だ。焼きそばや煮いかの香ばしい匂い、たこ焼きや大判焼の鉄板の音、クレープやポテトを手に歩く子どもたち。型抜きに真剣な顔をしている姿を見ると、「ああ、こういう時間を過ごしに来ている人も多いんだな」と思わされる。

ここはただ餅を食べる場所じゃない。年末の忙しさの中で、少し立ち止まって、人と同じ時間を共有する場所なんだと思う。船玉神社に人が集まる理由は、餅そのものよりも、こうした“一緒に年の終わりを迎える感じ”にあるのかもしれない。


お笑いの響さんと甘味処さんが来て、場の空気が少しゆるむ

餅つきの音や屋台の呼び声でにぎやかな境内に、もう一段階ちがう空気が流れたのは、ゲストの登場がきっかけだった。お笑いの さんと、ユニットとして紹介されていた甘味処さんが姿を見せると、あちこちで「おっ」という小さなどよめきが起きる。

テレビで見たことのある人が、年末の神社に立っている。その距離感が、なんだか不思議だ。ステージと客席、というほどはっきり分かれているわけでもなく、かといって完全に溶け込んでいるわけでもない。ちょうどその中間にいる感じが、この餅つき大会にはよく合っている。

響さんのやりとりに、ふっと笑いが起きる。大笑いというより、「年末にこういうの、いいね」と肩の力が抜けるような笑いだ。甘味処さんも、場の空気を壊さない距離感で関わっていて、気づけば周りの人たちも自然と輪に入っている。

地元の行事というと、どうしても内向きなイメージを持ちがちだけれど、こうして外から来た人が加わると、行事そのものが少しだけ柔らかく見えてくる。昔から続いていることを守りつつ、毎年まったく同じじゃなくてもいいんだ、という安心感もある。

餅をついて、食べて、笑っているうちに、ゲストが特別な存在だったことを忘れてしまう瞬間がある。たぶんそれが、この日のいちばん心地いいところだ。地元の行事に、ほんの少しだけ“よそ”の風が入る。そのことで、場が広がる感じがする。


見出し④ つく人、丸める人、見て笑っている人

餅つき大会の中心には、やっぱり臼と杵がある。でも、しばらく眺めていると、主役は餅そのものというより、そこに集まっている人たちなんじゃないかと思えてくる。

力いっぱい杵を振り下ろす人がいて、その横でタイミングを見ながら餅を返す人がいる。丸める作業に回る人もいれば、出来上がるのをただ待っている人もいる。役割は自然に分かれていて、誰かが指示しているわけでもないのに、いつの間にか流れができている。

その少し外側には、屋台の列に並ぶ人や、抽選券を握りしめて結果を待つ人がいる。型抜きに真剣な子どもを、後ろからそっと見守っている大人の姿もある。みんな何かを「しなきゃいけない」わけじゃなくて、ただそれぞれの距離感で、この場に居ていい。

面白いのは、積極的に参加していなくても、疎外感がないことだ。餅をついていなくても、列に並んでいなくても、ただ見て笑っているだけで、その場の一部になっている感じがする。

たぶんこの大会は、参加する・しないをきっちり分けないところがいい。年末の忙しい時期に、「できる範囲で、いまここにいる」というだけで受け入れてくれる。その空気が、境内全体に流れている。


「地元の行事」に外の風が入る、ということ

餅つき大会を一通り見て、食べて、少し笑ってから、ふと「これは毎年同じじゃなくても続いていく行事なんだろうな」と思った。伝統行事という言葉から想像するような、厳格さや決まりごとよりも、もっと柔らかい。

お笑い芸人さんやユニットのゲストが来ること、抽選会で屋台の商品が当たること、焼きそばやクレープの匂いが境内に広がること。そのどれもが、昔からの形そのままではなかったかもしれない。でも、それを「変わったからダメ」と感じる人は、あまりいないように見えた。

むしろ、少しずつ形を変えながら、その年ごとの空気を受け入れている。だからこそ、大人になってから初めて来た人でも、どこか居場所がある。昔を知らなくても、「今」を一緒に過ごせる。

毎年必ず参加しなくてもいいし、がっつり関わらなくてもいい。ただ、年末が近づいたときに、「ああ、あの餅つきの匂いの季節か」と思い出せる行事がある。それだけで、地元に一本、見えない柱が立っているような気がする。

続いていく理由は、たぶんそこにある。守りすぎず、手放しすぎず、外の風を少し入れながら続いていく。その姿が、この餅つき大会らしさなのかもしれない。


まとめ

餅つき大会を振り返ってみると、印象に残るのは一つ一つの出来事というより、全体に流れていた空気だった気がする。
餅をつく人、丸める人、屋台を楽しむ人、笑い声に足を止める人。関わり方はそれぞれ違うけれど、同じ時間を同じ場所で過ごしているという感覚だけは、確かに共有されていた。

昔からの行事を知らなくても、大人になってから初めて参加しても、ちゃんと居場所がある。外からのゲストや新しい要素が加わっても、それを自然に受け入れている。その柔らかさが、この行事を続けている理由なのかもしれない。

寒さより先に、もち米の匂いが来る。
その匂いを合図に、「今年ももうすぐ終わるな」と思える場所が地元にあること。それだけで、少し安心できる。船玉神社の餅つき大会は、そんな静かな役割を、今年もちゃんと果たしていた。

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