当記事では、茨城県筑西市船玉にある船玉古墳を紹介します。
船玉古墳は、7世紀中頃に築造されたとされる方墳(四角形の古墳)で、地域の歴史を今に伝える貴重な文化遺産です。
一辺約35メートル、高さ約4メートルと比較的コンパクトな規模の古墳ですが、内部には横穴式石室があり、壁面装飾が確認されていることから、古墳時代後期の文化を知る上で重要な遺跡とされています。
現在、船玉古墳は茨城県指定史跡に指定されており、筑西市の歴史を語る貴重な史跡の一つとなっています。
船玉古墳の形状と規模

船玉古墳は方墳で、一辺約35メートル、高さ約4メートルの規模を持っています。
日本の古墳といえば前方後円墳のような巨大古墳が有名ですが、船玉古墳はそれらとは異なる形状をしています。
日本の巨大古墳の多くは100メートル以上の規模を持っていますが、船玉古墳は比較的小さな古墳です。しかし石室の構造や装飾などから、古墳時代後期の文化を知る上で重要な遺跡とされています。
船玉古墳が築かれた時代

船玉古墳が築かれたとされる7世紀中頃は、古墳時代の終わり頃にあたります。
古墳時代は3世紀頃から7世紀頃まで続いた時代で、日本各地に多くの古墳が築かれました。初期には巨大な前方後円墳が多く造られましたが、時代が進むにつれて古墳の規模は小さくなり、形も円墳や方墳など比較的シンプルなものが増えていきました。
船玉古墳が方墳であり横穴式石室を持つことは、こうした古墳時代後期の特徴をよく表しています。
この頃の古墳は地域の有力者の墓として築かれたと考えられており、船玉古墳も当時この地域を治めていた有力者の墓であった可能性があります。
船玉古墳の石室

船玉古墳の主体部は、玄室・前室・羨道(せんどう)からなる横穴式石室で構成されています。
石室には雲母片岩系の板石が使われており、大きな石板を組み合わせて築かれているのが特徴です。
特に注目されているのは、石室の壁面に描かれた赤色や白色の顔料による装飾です。壁面には線や帯状の文様などが描かれており、古墳時代の装飾文化を知る貴重な資料となっています。
船玉古墳は茨城県内最大規模の横穴式石室を持つ古墳とされ、東日本を代表する装飾古墳の一つともいわれています。
船玉古墳と船玉神社
船玉古墳の上には、かつて船玉神社が建てられていました。
古墳の上に神社が祀られる例は日本各地に見られます。古墳は古代の有力者の墓と考えられており、長い年月の中で地域の人々から神聖な場所として大切にされ、後の時代に神社が建てられることも少なくありません。
船玉古墳でも同様に、古墳の上には船玉神社の社殿があり、地域の信仰の場として親しまれていました。
しかし、2011年の東日本大震災によって社殿は半壊し、その後、神社は古墳の上ではなく別の場所に再建されています。
現在の船玉古墳には神社の建物は残っていませんが、かつてこの場所が地域の信仰の中心であったことを伝えています。
船玉古墳周辺の古墳群
船玉古墳の周辺には複数の古墳が残っており、船玉古墳群を形成しています。
この地域には古代から人々が暮らしていた痕跡が残されており、古墳群の存在は当時の地域社会の様子を知る重要な手がかりとなっています。
地元の思い出
筆者が小学生の頃、4月初旬には近くの船玉神社で七鬼神社大祭という祭りが行われ、屋台が並び多くの人で賑わっていました。
その頃は古墳の石室内部に入って見学することができた記憶があります。
現在は安全管理のため石室内部に入ることはできませんが、当時は地域の人々にとって身近な歴史の場所でもありました。
船玉古墳の場所
〒308-0121
茨城県筑西市船玉248
船玉古墳を見学する際のポイント
船玉古墳は観光地として整備された公園ではなく、周囲に農地や住宅が広がる静かな場所にあります。
石室の入口は文化財保護のため施錠されており、内部に入ることはできません。
また周辺には売店などの施設はありませんが、近くにある船玉神社にはトイレがあります。見学の際にはこちらを利用することができます。
船玉古墳は比較的コンパクトな古墳なので、ゆっくり見学しても10〜15分ほどで見て回ることができます。
まとめ
筑西市船玉にある船玉古墳は、7世紀中頃に築造されたとされる方墳で、茨城県指定史跡にも指定されている貴重な古代遺跡です。
横穴式石室や壁面装飾など、古墳時代後期の文化を知る重要な史跡として知られています。
筑西市の歴史を感じることができる場所として、歴史に興味のある方は一度訪れてみてはいかがでしょうか。


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